
実は、日曜日の午後から水曜夜まで臥せっていました。
先週後半から何だか寒気を感じていて、「ま、冬山に比べれば」なんて思っていましたが、しっかり風邪を引き込んでしまいましたよ。
礼拝説教はさせて頂きましたが、熱としゃっくり(なぜ!?)と戦いながら、でした。
礼拝の讃美歌で、ルターが作った曲で「わがいのちも、わが宝も、取らば取りね」という歌詞があったのですが、横で一緒に歌っていた方は、「Stephan本気でそう歌っとる」と思ったとの事。
確かに。説教は、熱ぐらいでは休めません。(で、その後さらに上昇)
臥床中に思った事は以下の通り。
・山に登ったら、熱下がったりして。(怖くて実行できず)
・熱がある時って、ヘンテコな夢を見るなぁ。
・なんでしゃっくり!?
・私は医者から病状を軽く見られる、というパターンが多いな。
・多分、それは私に責任がありそうだ。
・そういえば、月曜以外の休暇って取ってなかったな。
・やっぱり疲れって蓄積するんだろうか。
・あと3℃上がったら死ぬんだな。生と死って、そんなに隔たってないのかも。
・死んでも怖くないっていうのは、実はとても大きな事だな。
・みんなから祈られて幸せだな。
・布団の中でも、祈りはできるんだな。幸せだな。
・Anneは本当によくしてくれるなぁ。
・私は、今まで、なんであんなに、あれこれ焦ったり、がんばらなくちゃ、って思ってたんだろ。
・実際には、何一つ自分の力では解決・完結できないことばかりなのに。
・あれもこれも、神様におまかせ、で良かったんだなぁ。
などなど。
まだ本調子ではないのですが、熱も下がったので、ゆるゆると通常の働きをさせて頂いています。
高熱時はさすがに「しんどいよう」と思っていましたが、でも、何だか大切な時間を過ごさせて頂いたように思います。
感謝。
「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。
私はそれであなたのおきてを学びました。」
詩篇119:71