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にゃおうさんからの質問 「神様に“愚痴”を聞いてもらってもいいんですか?」

■「教えて!牧師さん」7

■とても嫌なことがあった一日の終わり、口からは愚痴しか出てこない時があるとします。(少し日がたてば、気持ちの整理もできますが)こういう日は神さまに愚痴のまま、その言葉を聴いてもらうこともできますか?

 にゃおうさん、こんにちは。
 ありますよね、そんな日。

 愚痴を神様に聴いてもらう、大いに結構ではないでしょうか。

 私の大好きなみことばに詩篇62篇8節があります。

「民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。 あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。
  神は、われらの避け所である。」詩篇62:8


 ここでは、祈りが、「心を注ぎ出す」と表現されています。
 神様に対しては、心にあるもの全部をお伝えして構わないのです。
 愚痴でも、悲しみでも、喜びでも、後ろめたさも、妬む気持ちも、何でもかんでも、祈ってしまいましょう。

 「注ぎ出せ」ですから、心の奥底にある疑いや不安も、孤独も、諦めかけてた希望も、全部お祈りして下さい。
 O.ハレスビーという牧師は、「祈りとは無力さの告白である。」と言いました。私はこの言葉が好きです。
 私たちが、自分の弱さを告白して初めて、神様と私との間につながりが生まれるような気がします。

 ただ、忘れてはいけない、大切なことがあります。
 神様に全部伝えると同時に、神様のことばにも耳を傾けることです。
 そんな自分に神様はどうおっしゃって下さっているか、聖書はキリストはどのように教えているか、そのこともまた、思い巡らしてください。
 すべてを伝えること。そして、黙って神様のことばに耳を傾けること。そんな深呼吸のようなやり取りを心がけて下さい。これは、本当に大切なことです。
 お医者さんの前で、病状を訴えるだけ訴えて、席を立つ患者さんはいません。今度はお医者さんからの適切な手当てを頂いて、安心します。
 聖書の神様は、私たちと対話の中で導きを与えて下さる方です。

 そうして、神様にすべてを聞いて頂き、また取扱いを頂いて、安らかに寝床について頂きたいと思います。

 「神はわれらの避けどころ」、つまり逃げ場です。
 神様の所には逃げてしまっていいのです。
 そこには休みがあり、また新しい力を受ける場所でもあります。

 にゃおうさんの祈りの生活が、祝福されますように。

 私も、何でも祈っていこうと思います。

 また、いつでも御質問ください。

| 教えて!牧師さん。 | 21:54 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT

なんでも「祈り」に
なり得るけれど、
主の言葉にも耳を傾ける
必要があるんですね。

今回の相談で
神さまをより親しく
より尊く感じました。


| にゃおう | 2009/11/22 21:00 | URL | ≫ EDIT

⇒にゃおうさん

 いつだって、私たちは主を想うことができます。
 ごく自然にあるがままで、神様とつながって参りましょう。

 この絆をこれからも深めていきましょう。

| Stephan | 2009/11/22 21:49 | URL | ≫ EDIT















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