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にゃおうさんからの質問「もし明日、クリスチャンでない家族や友人が亡くなってしまったら、と思うと・・」

「教えて!牧師さん」20

■もし明日、クリスチャンでない家族や友人の誰かが亡くなってしまうとしたら、天国に行けないし、きっと後悔すると思います。どうしましょう?実は切実に悩んでます。

 にゃおうさん、こんにちは。お返事が遅くなってしまいごめんなさい。

 大切な悩みをお伝え下さり、ありがとうございます。
 そして、クリスチャンなら誰でも抱える思いでもあると思います。

■クリスチャンでないと天国に行けないのか?

 まず、このことを整理しておきたいと思います。

 クリスチャンは死後も神様と共に歩む(天国)ことは、確実に約束されています。
 では、クリスチャンでなければ(洗礼を受けていなければ、教会に通っていなければ)神様のいない場所(地獄)に行くのかどうか、というと「分からない」部分もあるように思っています。
 幼くして召される子どもや、キリスト教が伝えられていない地域の人などが、「知らなかった」ゆえに自動的に地獄に行く、と言う事ではないだろう、と思われるのです。

「・・律法を持たない異邦人が、生まれつきのままで律法の命じる行いをする場合は、
 律法を持たなくても、自分自身が自分に対する律法なのです。
 彼らはこのようにして、律法の命じる行いが彼らの心に書かれていることを示しています。
 彼らの良心もいっしょになってあかしし・・」
  ローマ2:14-15


 このように、聖書に触れる機会が無かった人であっても、生まれ持った良心が、その人をさばくのです。
 ですから、もしも生涯において、善しか行わない人がいたとしたなら、その方は神のもとに行くことも、またあるのかもしれません。
 でも、そんな人が果たしているだろうか・・と思うと、この可能性はかなり低そうですね。

 また、クリスチャンではないと見えても、実は心でキリストを信じてらっしゃる、という場合もあるように思います。日本人の中には、案外そういう方がおられるのかもしれないな、と思う時があります。
 たとえば、家族の誰かがクリスチャンだったりして福音を耳にする機会があって、何度か教会に出入りしたり、聖書を読んだりして、自分だけでこっそり「信じます」と祈られている、とか・・。
 こういう方が亡くなった場合は、葬儀の形式に限らず、神様はやっぱりその方をきちんとご自分のそばに導かれるのでしょうね。
 でも、やっぱりはっきりと公けに信仰を告白して下されば、残された者には希望があるわけですから、告白を聴きたいところですね。

 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
 それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、
 永遠のいのちを持つためである。」
   ヨハネ3:16 


 キリストの十字架の赦しを信じる人は、ひとりとして滅びることがない。これが聖書の約束です。
 この救いの知らせは、全世界のすべての人に差し出されています。
 愛する誰かが、その救いを受け取った、という事を見届けることが出来る時、私たちの喜びはあふれます。しかし、それ以上に、神ご自身が喜ばれるのです。
 ですから、クリスチャンは愛する者に確かに福音を届けたい、と強く願う者ですし、それが出来ていない状態では、にゃおうさんのように、不安を感じたり、後悔するのです。
 自分の救いの約束がはっきりしているだけに、なおさらです。

■伝えるべきです。(できることから)

 ですから、にゃおうさんが後悔しないためには、「伝えること」がやはり大切です。

 「『主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる』のです。
 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。
 聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。
 宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。」
  ローマ10:13-14


 伝え方には、色々あります。牧師がするように伝える事は、時として困難かもしれません。
 でも、出来るところから始めればよいのです。
 いくつかヒントを記してみますね。

 1.自分がクリスチャンであることを知ってもらう。
  これだけでも、十分“伝道”ですよ。その人は、キリスト教に興味を持つ時に、あなたに聴いてきますから。
 2.祈る。
  これは、一番大切なことです。その人の救いのために。伝えるチャンス・伝える言葉が与えられるように。
  祈っていれば、きっとチャンスも与えられます。語るべき言葉も。大丈夫です。
  人の救いに関わるなんて、ドキドキする大仕事ですが、神様は祈る人を用いられます。
 3.自分が神様を知り続けること。
  あなた自身が、神様からの愛や喜びを受けて生きていれば、身近な人は敏感にそれを察知します。
  神様と繋がっていれば、無言の証しが伝わっていきますよ。自然体で大丈夫です。
 4.みことばを送る。
  たとえば、メールや手紙の中で、おりにかなった聖句を添える、というのはいかがでしょうか。
  キリスト教書店に行けば贈呈用の聖書、あるいは読みやすい聖句集などもあります。
  そういう聖書のことばの一つひとつは、その人の心に蒔かれた種のように残り、
  思わぬ時に芽吹いたするものです。
 5.あなたの話をすること。
  聖書の教えについての体系的な話をしなさい、と言われると、「自分にはちょっと・・」と思ってしまいますが、
  自分がクリスチャンになった体験談なら、話し易いものです。
  そして、実は聴いている人にとって、それはとっても興味深い事柄なのです。
  にゃおうさんにしか、話せないメッセージがあるのです。それはあなた自身の証しです。
 6.教会に連れていく。
  敷居の高い教会ですが、実は誰でも歓迎されるのはご存じの通りです。
  教会でやっている色々な集まり、クラス、牧師の空き時間等、何でも利用してしまいましょう。
 7.教会で祈ってもらう。
  祈られずに救われた、という人に会ったことがありません。
  にゃおうさんの救いにも、きっと背後にどなたかの心かの祈りがあったと思います。
  祈祷会などで、ぜひ祈って頂きましょう。
 8.救うのは神様です。
  結局のところ、人の心を開かれるのは神様の働きです。人間の力技でそれをするなら、それは洗脳です。
  ですから、祈り深く、心を燃やしながら、家族や友を愛しつつ、出来る範囲で種まきしながら、
  今日と言う一日をきちんと歩むことだと思います。

 二つのエピソードを紹介したいと思います。
 ある牧師が、お祖父様を天に送りました。しかし、きちんと福音を伝えることをせずにいました。
 泣きながら、「皆さん。生きている内に語らなくては・・・」と訴えられたことでした。
 自分のような後悔を、他の人がしないように、という切実なメッセージは、ずっと心に残っています。

 また、ある方がクリスチャンになられたのですが、その時すでにお母様は複雑な話が出来ない状態でした。また、その方も聖書の知識は、まだ初歩的な段階でした。
 その方はお母様の耳元で「イエス・キリストっていう方が待っているから、その人のところについて行くんだよ!」と伝えたそうです。私は、こういう伝道もあるのか、とはっとさせられたことでした。

 この二つのエピソードは、「今できることは何か」という事を私たちに問いかけています。
 今できることがあるはずです。
 そして、今の最善をする時、私たちには平安があります。

 これは、にゃおうさん一人の問題ではありません。
 クリスチャン人口が1パーセントに満たないという、宣教地日本に住む、すべてのクリスチャンの切実な課題であり、祈りです。

 にゃおうさんが、そのことから目をそらさずに受け止めておられることをうれしく思います。
 神様に期待しつつ、祈るところから始めてまいりましょう。

 「あなたがたがわたしを選んだのではありません。
  わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。
  それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、
  また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、
  父があなたがたにお与えになるためです。」
    ヨハネ15:16

 お答えになったでしょうか。
 またいつでもご質問下さい。

※「教えて!牧師さん」は、駆け出しの牧師Stephanが、
自分の勉強のために受け付けている質問コーナーです。
質問はブログ右側のメールフォームよりお送りください。

| 教えて!牧師さん。 | 22:47 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT

こんばんは。

今回も丁寧な回答を
ありがとうございます。

3.4.5番は
新しい示唆を頂いた感じが
します。

神さまに「家族や友人を
救ってください」と
お祈りはしているのですが、
実を結ばないことに
焦りや不安を覚えたり、
逆に頭の中から
そのことを考えるのを
やめようとしてしまうのです。

1~8番のことを
再度思いめぐらして
また歩みたいと思います。

| にゃおう | 2010/02/04 19:12 | URL | ≫ EDIT

⇒にゃおうさん

 お祈りして参りましょう。

 まいた種が、思わぬ時、思わぬところから芽吹くことがよくあります。

 「明日世界が滅ぶとしても、私は今日リンゴの木を植えよう」
 (マルチン・ルター)

| Stephan | 2010/02/05 11:17 | URL | ≫ EDIT















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