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舟喜順一師 召天

 今朝、敬愛する舟喜順一先生(1920年生)が召されました。
 先生の日本のキリスト教会における業績については、こちら(wikipedia)をご覧ください。

jun1.jpg

 私は、幼い時から牧師を志していましたが、大学卒業後の神学校を選ぶ際、一つの基準を持っていました。それは、「聖書そのものを教えてくれる学校」でした。
 そして、東京・羽村にある聖書神学舎(宣教会)に進みました。募集要項に印刷されていた、第2テモテ3:16-17の聖句から、このことばを掲げる学校なら間違いないだろう、と思ったのです。

「聖書はすべて、神の霊感によるもので、
 教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい
 十分に整えられた者となるためです。」
   第2テモテ 3:16-17


 「教師は一流、設備は二流、生徒は三流」と言われる神学舎のきらめく講師陣の中でも、順一先生は神学舎の生きた歴史そのものとして皆から尊敬されていました。
 先生の組織神学の講義は、卒業生が「もう一度受けたい講義No.1」に挙げる名物講義だったのですが、受講して驚きました。
 さっぱり理解できなかったのです。
 ゆっくりと間を置きながら、らせん状に理論が展開していく語り口は、睡眠の呪文のように、生徒を一人また一人と眠らせていきます。
 しかし、それは「聖書を読む」という基礎を、学生たちが人から教えられてではなくて、神との関わりの中で発見するという意味で、実に意義深い講義でした。
 私も、卒業するころには、私なりに順一先生の教えて下さったことを受け止めることが出来たのではないか、と思っています。

 とにかく、授業によく遅刻して来られました。誰かにつかまって(あるいはつかまえて)話し始めると、チャイムが鳴ってもお構いなしです。
 でも、手抜きはなさいません。授業自体も際限なく延長されたからです・・・。

 授業の組み立てもすさまじいものがありました。
 冒頭から「何か・・・質問は・・・ありますか・・?」と尋ねられるのです。
 これで、本当に何か質問しようものなら、思わぬ時空から新たならせん状理論が展開して、質問者自身をも眠りに陥れるのです。

 忘れられない思い出が一つあります。
 二年生の夏、私は授業終了後、先生に相談に行きました。
 二年生になると、帰省していった先の岡山の教会で説教の奉仕をして回ることになっていました。
 しかし、私は入学してからの一年数か月、何も身に付いた気がしていませんでした。かえって「何も知らなかった」ことを深く知らされていたのです。

 「先生、私は何も新たに学んだ気がしないのです。(あなたの授業も分からないし・・)」
 と涙ながらに相談すると、先生は、
 「この学校では、何も身に付くことは教えていません。ただ、聖書の読み方を教えています。兄弟がご自分で聖書を読んで得たこと、それを語れば良いのです。」
 と、生涯忘れられない答えを与えて下さいました。
 それで、迷いなく夏の奉仕をさせて頂くことができました。

 在学中に婚約した私たち二人のことを、ことのほか喜んで下り、「日ごとに」という聖句集をそれぞれに送って下さいました。今でもそれは枕元に置かれています。

 卒業後しばらくして、順一先生が取り扱った入門者用の聖書の学びのテキストを見つけました。
 それは、私にとって大きな助けとなりました。
 卒業後も、順一先生に教えて頂いているような思いで、このテキストは毎日のように用いられています。

   junnichi.jpg

 順一先生。
 礼拝の説教を終えた後、讃美歌を歌っている先生のお姿が心に残っています。
 お年も重ねられ、説教後のお疲れもあるでしょうに、目をつぶり、身をよじって、讃美歌を絞り出すように歌っておられました。
 これからは、神様のおそば近くで、力に満ちて、心からのほめ歌を歌うことがお出来になりますね。
 いつか、ご一緒する日を楽しみにしています。

 あなたの生徒にふさわしく、祈りと学びの生涯を送りたいと、改めて願います。

| いい一日でした。 | 14:55 | comments:6 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT

尊敬

偉大な先生が去られたのですね。
寂しさはいかばかりかと思います。

私にも尊敬する先生はいます。もうご高齢なはずなので、いつかお別れがくるのだなぁと、時々寂しくなります。
でも、本当に尊敬するとは、その方の教えに聞き従うことでしょう。たとえ直接会えなくても。
その意味で私は恥ずかしいです。

それから、我がT教会の前任のN先生の言葉を思い出しました。「神学校って、大して勉強しないから・・」私に言わせれば、当時も今も、教団内で最高の説教者のN師の言葉を。

| T氏 | 2010/04/13 22:18 | URL | ≫ EDIT

順一先生は、本当に教えて下さる先生でした。先生のことばは、心の中に投げこまれた石のようで、心が大きく動く時には今も時々転がっては、音を響かせてくれています。良い質問をしたときに、喜んでくださっているように思え、とっても嬉しかったです。
先生から伝えていただいたことを、伝えていきたいです。

| ミロ | 2010/04/13 22:37 | URL | ≫ EDIT

⇒T氏さん

 「神学校って、大して勉強しないから・・」
 さすがN先生です。
 私は人生であんなに勉強したことない、という日々でした。

 でもそれは、あれほど学ぶ喜びを感じたことはない、ということでもあります。

 尊敬するとは、聴き従う事。
 いい言葉ですね。

 私たちとキリストの関わりは、まさにそうあるべきですね!

| Stephan | 2010/04/13 23:10 | URL | ≫ EDIT

⇒ミロさん

 ギリギリまで、生徒に自分で考えさせて下さった忍耐と愛に感謝しています。

 「教えて下さる先生」

 まさに、そうですね。

| Stephan | 2010/04/13 23:25 | URL | ≫ EDIT

浜田山の礼拝堂の順一先生

もう20年以上前だと思いますが、下から二番目の弟の人の、信先生が浜田山で牧会していらした頃、信徒訓練会に一度講師をして下さいました。本当に本来常にそうあるべき様の、天つ真清水の聖なる学びで、本当に良く学び、その時に、いわゆる戦後日本の福音派の教会で、強い聖霊の働きを覚えました。後に羽村で何回か講義を聴きましたが、このブログにあるごとく、完全に期待はずれで失望的にがっかりする程よくありませんでした。教会の礼拝堂で、アンブロシウスやアウグスティヌスの頃の様な場であれば、よいのではないかと思います。

| megiso | 2011/12/15 11:47 | URL | ≫ EDIT

はじめまして。

難解な講義でしたが、不思議と、一番印象的な講義として今でも心に残っています。
そして、順一先生がおっしゃりたかった事は、卒業後十年経った今も、心の中で生きた知識として日々確認されているのです。

これもまた、聖霊の働き、なのでしょうね。

| Stephan | 2011/12/15 13:20 | URL | ≫ EDIT















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