PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

石田和子先生、また会いましょう。

 昨日、敬愛する石田和子先生が召された、という連絡が入りました。
 娘さんから、「ひょっとしたら、今回は厳しいかも」という連絡が入り、群馬の親友の牧師に電話したところ、すぐに病床に出かけてくれました。
 「 隆君の代わりに」と言ってくれた親友の気持ちが、本当にうれしかったです。そして、一夜明けた昨日、天に帰られた、という連絡を受けました。親友はその時も訪問してくれて、安置室で祈りの時間を執り行ってくれたとのことです。

 和子先生は、恩師・石田和男師の奥様です。
 そして、私にとっては和男先生と並んで、かけがえの無い師でした。
 
 知性と愛、厳しさと純真さ、そのすべてを矛盾無く保っておられた希有な存在であったと思っています。

(2004/8/22 山陽教会にて)


 和子先生には、何度こっぴどく叱られたかわかりません。
 でも、怒ったら本当に怖かったのは和男先生でした。そんな時は、和子先生が和男先生に、「あんた、やめときなよ。隆ちゃんがげっそりしてるよ。」と助け舟を寄越してくれるのでした。

 最初の出会いは、十数年前、私が大学生の頃でした。
 私が「将来、牧師になりたいと思っているんです。」と言ったとき、和子先生が「コーリングはあるのかい?」と聞かれました。つまり、神様からの明確な招き(召命:calling)を確信しているのか、と問われたのです。
 「ある、と思います。」と答えると、簡単に「”思います”なら、止めときな。」と言われました。和男先生もにこにこしながらうなずいておられました。

 私は、そういうタイプの教職者に出会ったことはなかったので、びっくりしました。
 「牧師になりたい?おお、すばらしい。」というような反応が多かったからです。それを、「止めときな」と言われた時、何故かこの先生ご夫妻に教えを受けよう、と心に決めました。
 厳しさの中に、さわやかさと、深い信仰の世界を感じたのだと思います。

 和子先生は、とにかく賢い方でした。鋭いことばには、切れ味と愛情がありました。特に、妻を可愛がってくださいました。

Ryuji2005-08-28-200556.jpg
(2005/8/28 湯原にて)


 ご夫妻で長年育て上げた東京の教会を辞して、岡山県北・津山に移り住んで、活動停止に近い状態になっていた津山聖約キリスト教会を生き返らせる働きに、第二の人生を費やされました。
 愛して、愛して、愛し抜く牧会の姿勢は、力に満ちており、祈りに裏打ちされたものでした。
 和子先生は厳しい病気もお持ちでした。しかし、内からあふれる情熱で痛みをこらえて微笑んでおられました。

 一度、「隆ちゃんね、これだけは言っとくよ。」と前置きされて、改まって話し出されたことがありました。緊張して、次の言葉を待つと、
 「隆ちゃんね、お金にだけはきれいでいなさいよ。」
 と言われたのです。神学生だった私は、「なんだ、そんなことか・・。信仰とはあまり関係ないアドバイスだな。」と正直に思いました。
 しかし、そのアドバイスによって私は、今までどんなに守られてきたことでしょう。
 
 和子先生から良く言われたフレーズは、
 「甘ったれるんじゃないわよ。」
 「いいかげんなこと言うんじゃないわよ。」
 「冗談じゃないわよ。」
 「あんた、祈ってないね。」
 などなど・・。でも、一番ぐさっと来たのは、「あんた、牧師くさくなっちゃったね。」というものでした。
 今度は何を叱られるのやら、とびくびくしていたりもしますが、和子先生も開き直って、電話の時は「口うるさいおばばの石田和子でございます」とかけてこられたものでした。

 はっきり言えることは、和子先生のこういうお叱りの数々を頂けなかったら、私は今以上にどうしようもない働き人になっていただろう、ということです。
 和男先生の待つ天の御国に、和子先生が帰られたことは、私にとって、本気で叱ってくれる存在がいよいよ居なくなってしまった、ということです。

Ryu2003・07・07_0003
(2003/7/7 山陽教会旧牧師館にて)


 和子先生。
 沢山可愛がって下さり、ありがとうございました。
 受けてばっかりで、お返しすることがめったにない教え子でした。
 「まったく、本当だよ。」と思われているでしょうね。
 「あんた、もっといいこと書きなさいよ。」とも思われているでしょうね。
 私が、先生御夫妻に感謝しているのは、徹底的に私のことを考えて、祈り、叱り、関わり続けて下さったことです。
 人はここまで誰かの事を、利害関係抜きで愛せるのだ、という手本を、御夫妻から学びました。

 本当に命をかけてキリストのために働く人は、自分で「命がけ」なんて言葉を安易に使ったりしないのだと思います。ですから、私も先生達から「命がけ」ということばを聞いた記憶はありません。
 でも、わたしは先生達から親しく学ばせて頂いたものとして言います。
 御夫妻こそ、「命がけの伝道者」と呼ばれるにふさわしい師でした。

「しかし、私たちは神の御前で、キリストにあって語っているのです。
 愛する人たち。すべては、あなたがたを築き上げるためなのです。」
  第二コリント12:19

| いい一日でした。 | 13:59 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。