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今日の聖書/ヨハネ11:33


キリストの憤りと動揺。

不可能を可能にするキリストが来られているのに、人々は絶望し、泣いていた。

兄弟のラザロを亡くしたことで、信仰の女性マリヤもまた泣いていた。

神を目前にして、絶望するべきではない。それは、神を疑うことであるから。

思いもかけないことを、神はなされる。神は可能性そのものである。

| 今日の聖書(新改訳) | 08:47 | comments:3 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT

先生、いつも「今日の聖書」拝見しています。ありがとうございます。

"霊の憤り"と"心の動揺"の意味がわかりません。
あと、35節でどうして涙を流されたのかわかりません。

また、お時間のある時にでも教えて頂けたら幸いです。

| しょう | 2011/08/30 10:15 | URL | ≫ EDIT

 しょうさん、こんにちは。

 適切な答えを出来るかどうか、ちょっと自信がありませんが・・。

 イエス様のここでの憤りには、いくつかの解釈があるようです。
 私は、文脈から判断して、ラザロの死を前にして、人々がすっかり絶望している、この状況に対する憤りと動揺ではないか、と思います。

 24節以降、イエス様は繰り返し、ラザロをよみがえらせよう、という御心を語られています。
 しかし、人々は悲しむことを止めません。
 死んだら、終わりである、と思っているからです。
 この点において、キリストがもはや何か出来る、とは誰も考えていません。
 死の「絶対性」の前に、なすすべもなく悲しむしかない人間の現実、死を目前にすると神への信仰もかき消えてしまう弱さ、そこにキリストの憤りと動揺があったのではないでしょうか。
 (学者の中には、人間が罪を犯した故に人間を支配するに至った「死」そのものに対する憤りと解釈する方もあります。そういう解釈も成り立つのかもしれません。)

 けれど、35節のキリストの涙は、そんな人間の現状、弱さと悲しみに、寄り添われる心を表していると思います。
 死の前には、誰もが敗北者です。・・なんと言う悲しみでしょう。
 キリストは、ラザロの死、そして人々の悲しみに、深く同情し、涙されていると思います。

 そして、そんな私たち一人一人に救いをもたらすべく、ご自身が十字架におかかりになる道を歩み続けられます。

 憤りと涙。
 私たちは、そのどちらかに偏りがちです。
 「もっとこうあるべきだ」と要求し、適わないと見捨ててしまいます。
 あるいは、同情的になって、何もかもを許してしまいます。

 しかし、キリストは、私たちがどんな時にも希望を抱く生き方をするように、ご自身の身をもって私たちを救い、神の愛と力がどれほどに大きいものであるかを教えて下さる方です。

 お答えになったでしょうか。
 ご質問は、いつでも歓迎です。

 感謝。

| Stephan | 2011/08/30 16:35 | URL | ≫ EDIT

先生。こんばんわ。
合点しました。
早速のお返事ありがとうございました。

| しょう | 2011/08/31 00:06 | URL | ≫ EDIT















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